日常の一コマ(担当者:痛ガム)

 スマホを弄っていて、自分の撮った写真を眺めていた。春の桜や合宿での海、こないだ撮った公園での紅葉……。そんな一年が終わろうとしていると思うと、時の流れの速さを実感する。

 

 

 ところで、何気なく撮ったこの写真。撮影した本人、自分で見る限りはそれがいつどんな時かはわかる。しかし、他人に見せた時には、どのような状況でその光景を撮ったのかというのはなかなか伝わりにくいものだ。記念として撮った写真なのか、誰かの視界に映る光景を切り取ったものかもしれない。もしくは作品として作り上げた芸術的なものであるかも。その撮影者の意図を汲み取るのも、写真を見る上では重要であり、楽しみでもある。

 

 

 と、考えると、我々が書いている小説も写真と似たようなものだな、と感じたことがある。

 

 目の前に写っている話から想像を膨らませ、読者それぞれの頭の中にその時の光景を描き出す。しかし多くを語りすぎない物語においては、そこに描かれていない部分から話が進み、物語は発展してゆく。そこは作者があとから種明かしをする時もあるが、読者が自分の考察で話を作ることが出来れば、作者と読者の繋がりが生まれるだろう。順番でいえば写真とは逆なのかもしれない。どんな写真にもストーリーはある。逆にストーリーは写真として読み手の頭の中に写し出される。挿絵などがいい例だろう。

 

 

 ここまで偉そうに書いていたが、両方ともまだまだ未熟な身。趣味として手を出したものの、深さにまだ溺れてしまいかねない。来年には今よりもスキルアップできるように努力したいものだ。