電車で奥多摩、小冒険譚(担当:水煙)

 なんにも用事がないけれど、電車に乗って奥多摩へ行って来ようと思う。しかし、百閒先生ほど無鉄砲に高等な遠路ではない。

 

 そもそもまるっきり用事がなかったわけではない。青梅の美術館でシリア難民の写真展があって、その日曜日には写真家さんが遠路はるばるギャラリートークにいらっしゃるということ、ならばと私も遠路はるばる青梅まで足を伸ばしたのだ。だから青梅までは阿房ではない。

 

 さてギャラリートークは終わった。すでに午後三時半を回っている。じゃあ帰ろうか、とホームに立つが、気持ちは都心行きとは反対のほうを向く。青梅の町がすでに山の中にある。しかし線路はこの先、単線になってさらに伸びてゆく。どこへ行く? 視線は線路を辿って奥へ奥へと誘われる。やがてカーブの先に消えた線路のその上を、私の想像力が勝手に走り出す。しかし、走り出したはいいが何を想像すればいいのかが分からない。どうすればいいかと終着を見る。すると路線図にはこうあった。

 

 

「奥多摩」

 

 

 おお、奥多摩。「東京の秘境」「東京の最奥地」「東京にこんな場所があったのか」「もはや東京ではない」などなど都会人からの評価をさんざん聞いたことがある。だが、ここまで聞くとむしろ行ってみたい気持ちになる。と言うか、青梅に用事がなければ一生行かないだろうから、ついでに行ってしまおうと思う。

 

 午後三時四十七分の青梅線普通奥多摩行きに乗り込む。乗り込んだ先頭車両にはそこそこの人がいる。それでも十人程度だが。

 

 さて、電車は定刻に発車し、そして無事定刻午後四時二十九分に奥多摩のホームに滑り込んだ。実に四十分の旅路だ。しかし、奥多摩に至るまで、宮ノ平、日向和田、石神前、二俣尾、軍畑、沢井、御嶽、川井、古里、鳩ノ巣、白丸と十一駅あるが、これらを一々活写しても私の語彙力不足が露呈するだけなので、潔く全部ひっくるめてしまう。

 

 線路はいくつかトンネルを抜けると、どこかからか谷に沿って走るようになる。日はとうに山の影に隠れて、山際を、夕焼けになりきらない白々したような、ぼやぼやしたような風に照らした。それよりも天頂に向えばと夕暮れの紫色が、夜の深い紺を引き連れて山の端へと覆いかぶさってきているところだった。空はそんな調子だが、谷の底はもうすっかり夜だ。街灯、車のヘッドライト、家々の灯り。そんなものが、時速何キロかで次々と流れていく。どこまで進んでも空は流れない。だからと言ってどちらが好きというわけでもない。人の暮らしの近さには安心するし、空の悠然とした変化には偉大さを感じる。成るものがなるように成るとほっとするのだ。

 

 ここで紹介したい二人組がいる。青梅から同乗する少女らである。ここでまず断っておきたいのは、私はこの二人組と知り合いではないし、今回で交流を持ったわけでもない、ということだ。それなのに何やら言い出すのは、さては貴様変態か、という声も聞かない。軍畑辺りでその車両に私とその二人組だけになったのである。何かしら注意しても不思議ないだろう。

 

 少女らはウィンドブレーカーのような上下を着て、足元にはそれぞれエナメルバックが置いてある。最初はまあ、部活帰りの中学生か、と思った。しかしそうではない。

 

「奥多摩ってどこ?」

「すごい。めっちゃ山奥!」

「これ、転がったら死んじゃうよ(電車のことを言っている)」

「線路が一本しかない!」

 

 果たして奥多摩の住人がこんなことを言うだろうか。否々。奥多摩の施設に強化合宿という線も考えた。だが引率もつけずに二人だけ、というのも不自然だ。

 

 なんの二人組だろう、と考える。考えつつ、外の風景を見つつしていると、やがて奥多摩に着いてしまった。

 

 私は車中で調べて、帰りは午後四時五十四分発のホリデー快速おくたま6号東京行きに乗ると決めていた。三十分に満たないが自由な時間がある。改札内にいれば青梅からの乗車運賃だが、せっかくこんな鄙びた場所まで来たのだから、駅舎の周りくらいは見ておきたいと電車を降りた。

 

 しかしあの二人組は一向に降りようとしない。私はホームからの写真を何枚か撮ったが、その間にも彼女らは座席に座ったままである。私は駅舎を出た。薄暗闇だ。駅舎の写真も撮った。駅舎の向こうの空はすっかり夜だった。見上げるホームから、今乗って来た電車が逆向きに走り出す。

 

 二人組はついに出てこなかった。

 

 ははあ、奇特な少女らがいるものだ。自分のことを棚に上げるわけではないが変なもんだと思った。こんな山奥まで電車に揺られるだけで何が楽しいのか。不思議でならない。

 

 あの二人組は思春期の真っ只中のはずだ。思春期の日曜日の午後をこんな風に使ってしまうのか。贅沢なことだ。けれど同時に、ちょっとした冒険かな、とも思った。私も一度、地元を流れる川を自転車で延々と上ったことがある。とうとう疲れて途中でやめたが、電信柱の知らない町名を見たとき、遠くまで来たなと細波のような感動を味わった。それと同じようなことかもしれない。

 

 彼女らの中にこの一時間程度の旅は、どのように留まるのだろうか。

 

 私は駅舎を離れて近くの神社を参った。奥氷川神社というらしい。それから神社の下へ続く道を辿った。それは神社の下を流れる川へと続く道だった。川から見上げると青梅街道が走る橋がかかる。デジカメに何枚か納める。そうして、もう二度と来ることはないだろうと思った。

 

 駅舎へと向かった。改札を通りホームに出ると車両はもう入っており、帰りの登山客がまた、五六人程度ぽつぽつと座っている。

 

 発車のベルが鳴ったとき、あの二人組ももう二度と奥多摩には来ないだろうと思った。確かな推測ではない。しかし、もし今日の記憶が二人の冒険譚として残るのであれば、その冒険地はただ記憶の中に留まるがよいに決まっている。確かめに来て思い出を壊すこともなかろう。

 

 電車は定刻に発車し、午後六時三十六分に東京駅に終着した。段々に増える家屋、ビル、乗車客を眺めながら、奥多摩と都心が地続きであることに不思議を感じる。同時にこの二つの場所が地続きでなければいいのに、と微かに願いもした。

 

 私はホームへ降り立ち、乗り継ぎへと向かうのである。